詩画展 [詩]

皆様のナイスを押そうとすると固まってしまったり、自分がいただいた記事下のナイスをクリックしても、以前のように皆様のアイコンが出なかったり、投稿が完了しましたと言う文字が出なかったり取り入れた映像が反映しなかったり、どうしてしまったのかわかりません。
ブログの調子が悪くて訪問できず、心苦しいばかりですが、お許しください。遅くなっても必ず訪問させていただきます。

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今回は多分本人だけにしか興味のないことです。
なんと20年前に詩画展に出した絵の一部が出てきたので記録するために投稿してみました。
誰かがパンフレットや写真にしたり、DVDにしたりしてくれたものは残っています。
が、たいていは迂闊にも記録はのこっていません。
参加したヴィジュアル詩展や土笛コンサートについては、個人的には何の記録もとっていません。
今まではすんだ催しもののことは思い出したくもありませんでしたが、何が原因でこの気の変わりよう?不可解です本人も。



風の耳

さえざえとした音の中心に切れるような青い音、その中心にすべての色を集めた透明な音が針状の中心をとっている。
ゆらめくときも 進むときも 針の中心は中心で。胸のあたりに穴が開き、井戸が白々と明けて、次第にきらめき始める。針は魂のおもりをつけて、雲をしたがえ、井戸の中へ降りてゆく。
ああ、ぎゅっと胸に熱いものがこみあげる。怒りも、したわしさも、悲しみも情の針の束と化して。
打って、打って、砕けんばかりに打ち付けて。ふと月が登り、からっとした太陽も登り、行ったり来たり。誰も見たことのない岩倉(いわくら)の中で、音の卵がのどかなあくびをしている。ほのかな明かりの下で涙する。コンサートホールの闇の底で、はるかな風の耳が育ち石笛は鳴り始める。

まるで他人が書いたもののように感じますが、20年前にまぎれもなく書いた自分の文です。
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「R荘まで」水野るり子  詩誌「二兎」より [詩]

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パウル・クレー 「R荘」(1919年)バーゼル美術館



「R荘まで」   水野るり子

黒い着衣と黒頭巾の一行が 夕焼けの坂道を降りてくる カラ
スたちの医師団だ 旅人たちをあの世へ見送ってきたところだ
ろうか 私の父も春の来る前にトンビをまとって風の中を通り
過ぎて行った


西空の紅色が濃い わたしはここでひとり R荘のあった方角
を見つめている 西空から響く木霊の音がきこえると そこに
過ごしたもう一つの日々がしきりにわたしを呼ぶのだ


曇りガラスに映る木漏れ日のようなR荘での日々・・・鳥たちに囲
まれたあの館こそ 私の生きたもう一つの時間であったと思う


屋根裏に置き忘れたスモモジャムの壺「魔女の十二か月の暮ら
し方辞典」や「レオ・フェレ詩集」の黄ばんだ背表紙 幻のう
たごえがきこえる(・・・愛し合おう 愛し合おう・・・カラスどもが
ねむっている・・・その間に・・・)生きる日はみじかい あまりにも
みじかすぎる・・・



黒衣の医師団がバサバサと羽音を立てて過ぎると 遅れて自転
車が一台やってくる ハンドルに小魚たちのぎっしり詰まった
ビンが揺れている 小魚たちの黒い目がいっせいに私を見てい
る 無数の目のつぶやきが 波のように私を追いかける


森が暗くなる 空を舞うトンビのくちばしから 枯れ枝が落ち
てくる 折れ曲がったいくつかの音符のように・・・ やがて満月
が丘の麓にのぼり 森かげに「R荘」の窓が見え隠れする


月の光がR荘の押し入れに寝ている子どもをひっそり照らす
かたわらに茶色い犬が寄り添っている 子どもの夢の底に一羽
の鳥が巣ごもりしている 夢の中がだんだん明るくなる

※(パウル・クレー 「R荘」より)

2017年10月25日発行

この世とつながっている前世を覗き見しているような心地がします。
使われている私やわたしが、渡し、私死と木霊する。
淡い境界線に溶けているものたちが、立ち上がって来ては満月の彼方に消えてゆくのを追いかける。
そこはもうひっそりした夢の世界だ。
夢がこちらにも移ってくる。

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ちょっと異質な、はじめてのゾンビ詩 勝嶋啓太詩集「今夜はいつもより星が多いみたいだ」より、「食慾と性慾」 [詩]

詩「食慾と性慾」 勝嶋啓太 (コールサック社)




ずっと好きだった女の子がいたのだが
ぼくは とっても 臆病者なので フラれるのが怖くて
好きです って言えないでいたら
彼女は やがて ぼくの友人と付き合いはじめ
ふたりは 結婚してしまった
ふたりの幸せそうな顔を見るとムカつくので
仮病を使って 結婚式には出なかったのだが
ぼくの気持ちを知らないふたりは
しきりに 家に遊びにおいでよ と誘ってくれる
仕方がないので 結婚祝いのプレゼントを持って
ふたりの新居を訪ねると

ぞんび1.jpg
彼女が ゾンビに なっていた


ぼくが訪ねた時には
友人は あらかた喰われてしまって 骨だけになっていたので
プレゼントを置いて さっさと帰ることにしたのだが
ゾンビというのは ひどく腹が空くものらしく
気がつくと 10メートルぐらい後ろを
彼女が ひもじそうな顔をして
ぼくの様子を窺いながら ずっとついてきている
ぼくが立ち止まって振り返ると
彼女は 怯えたように ビクッとして
オアズケを食らった犬のような情けない顔で
ぼくをじっと見て ヨダレを垂らした
その時 ぼくは 彼女を 抱きしめたいと思った


現在
彼女は 大分腐りかけてきているんだけど
ぼくの部屋の隅で
相変わらず ひもじそうな顔をして
じっと ぼくの様子を窺っている
彼女には ぼくは よっぽど美味しそうに見えるらしく
しょっちゅう ヨダレをダラダラと流している


今日
意を決して 抱きつこうとしたら
右足を 喰われた
多分 近い将来
ぼくも 友人のように あらかた喰われちまうんだろうけど
久しぶりに満腹になって
今 すやすやと 穏やかに寝息を立てている
腐りかけの彼女を見ていると
まあ それでもいいか
と思えてくるのである






★なぜか宇宙次元のファンタジー詩や聡明な生活詩を書く知性的な女性詩人たちから「面白いね」と言われ人気がある詩人の詩。
この「面白いね」はフランス料理や日本料理の通の人が、異次元の調味料を加えた 「たこ焼き」  否!「おいしい家庭料理」を食べた時の感想のように聞こえてしょうがない。
たいくつな  否!賢明な生活詩ばかりを書く良い人詩人が、人間の影の部分を書く詩人を陰でいたぶり、いじめるということは起こり得る。
実体験として枚挙にいとまがないくらいだ。
たとえは的確ではないかもしれないがその昔、映画の悪人役の役者が巷の人々から石を投げられたという話はよく聞く。
その点、勝嶋啓太氏の詩集と身柄はあたり口の可憐さ、情感の深さから安全だろうと思われる。
物語に光と影が必要不可欠な映画のたとえだとわかりやすい。
物語は、善悪と喜怒哀楽が絡み合って作られていると深みと陰影が出て滋味あふれるものになる。
イメージ写真・文 <ブログ主>





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詩「月の皿」(Lunatique) 二兎no7より 水野るり子 [詩]

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「月の皿」 水野るり子
  二兎7号《昼下がりのお客》より



手紙の封をして顔をあげると  そこは巻貝のようによ
じれた階段の途中だった 足もとから海の匂いが上って
くる 段々を降りていくと小さな扉があった のぞくと
色あせた本の山がくずれ落ちてくる 窓からさしこむ一
筋の月光のなかを埃が舞い 埃のひとつひとつが見知ら
ぬ城のように光っている


城は水に囲まれている 水の底に台所がかたむいている
包丁を研ぐ音が聞こえる 夜の料理人の刃先がするどく
光ってくる 調理台に横たえられているのは あれは・・・
魚だろうか それとも巨きな烏賊の一種だろうか・・・青と
灰色を巡る音階が 料理人の胸のなかを止むことなく流
ている 滅びた星々からの通信のように


どの皿にも神話が潜んでいる 一羽の鳥であれ 一匹の
魚であれ 一本の野の草であれ 料理人の研ぎ澄まされ
た刃先は 生きものたちが隠し持つ魂のものがたりを引
き出す(肉の一切れからは 引かれてゆく母牛を追って
哭いた幼い日の一刻を・・)(セリ属の一茎からは 野の
せせらぎに初めて触れた刹那のあの身ぶるいを・・)それ
らはどれも神の唄う ただ一回きりのものがたりだった


漂流する月の皿・・そのまわりに親族たちは集い 肉や魚
や野菜の幾片かをひとりひとりの皿に取り分ける(祖父
母たちや父母に倣って この私もまた・・)そして皿の上
でオリーブや調味料の匂いにまみれたもうひとつの神話
に浸る 食卓にのこされたのは鳥たちの脚だけだ その
魂はすでに声もなくどこかへ飛び去っている 宛名のな
い手紙となって

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<思いつくままの感想>
宇宙をさまよう種子をのせたシュールな皿  現実世界とつなっがっているけれど片端から消えてゆく影の世界  空いちめんの巨大な神々の食卓  どこかでつなっがっている二つのもの(一方はメルヘンの世界の蟻の巣をたどって、もう一方は消えた星々を追って)捕まえたと思ったら消えてしまう人間共通の原型   キリコの輪を回す少女の時間と足音  影の影に発生する渦  ちらばっってゆく針状の音





★最近見た劇場映画
「ブレア・ウイッチ」森の中の魔女伝説を追ってドキュメンタリー映画を作ろうとしていた仲間が次々に消息を絶つ 
「ファンタスティック ビーストと魔法使いの旅」魔法使いの青年が、魔法動物の救済を行う
「ローグ・ワン/スターウオーズ・ストーリー」敵対する2グループの戦い




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詩「花咲ける詐欺師たち」 狩野敏也  詩集「わが裏博物誌より」 [詩]

詩「花咲ける詐欺師たち」狩野敏也 (土曜美術社出版販売) 

あなたたちは  よもや知るまい
花たちの誘惑術や秘術を尽くす詐欺の技を


種子植物は確実に受粉し
安定して子孫を残せるように
さまざまな工夫を凝らす
豪州の蘭「ハンマー・オーキッド」が好例
雌蜂に偽装するのだ
その唇状の花弁の匂いと感触に誘われ
雄蜂がその花冠にある唇弁に抱きつく
するとその根元のバネ仕掛けが働き
雄蜂を反対側にある花粉塊にぶつけるのだ


欧州の「オフリス」はもっと賢い
雌蜂にそっくりの花をつけて
雄蜂をおびき寄せて偽の交尾をする
が 満足まではさせない
雄蜂は興奮状態を持続させたまま
次の花を訪問し他花受粉が行われるのだ
本物の雌蜂が怒らないかって?
彼女たちがまだ発情しない時期に
すばやく済ませるのさ


ところがあべこべに虫のほうが
花の真似をする手合がいて困る
自分を蘭に見せかけ獲物を取る虫だ
東南アジアの熱帯雨林に棲む
肉食で 体長八センチほどの「花かまきり」がそれ
その名のように蘭の花のそっくりさん
蘭だと見間違えて来た昆虫を捕らえるのだ
カマキリ目ヒメカマキリ科
昆虫図鑑を見てもまさか虫とは誰も思わぬ


さて あなたたちは不思議に思うだろう
蟻とともに昆虫界きっての知性派の蜂が
蘭の花ごときに
それも蜜の御馳走用意もない蘭の花に
なぜ ころりと騙されてしまうのかと・・・・・・
珍種の蘭なので学習の機会に乏しいからか
春先のまだ学習の不十分な蜂を
利用しているためなのか
ヒトの学会でも諸説紛々なのだ


そういう君は誰かって?
攫(さら)われるのが怖いから
匿名にさせて貰うが
三十五センチもある長い管の奥に
蜜を貯めこんでいるある種の蘭だ
長い口吻を持つ雀蛾だけを
専属の受粉係にしているのだ
採りに来ようと
言っても無理だよ
マダガスカル島の某所にしかないのだから


★狩野敏也さんの詩は誰にも真似できない奇想天外で重厚でひょうきんな面白さがある。
詩集「四百年の鍋」「二千二百年の微笑」「鶏たちの誤算」「もう翔ぶまいぞ」などいつも見えるところに並べて再読させていただいている。
詩集「花咲ける詐欺師たち」の帯には「虚、実を揶揄(からか)い実、虚を嗤う 虚と実のこの鬩(せめ)ぎあいを見よ」とある。なんだかぞくぞくする。


ハンマー・オーキッド.jpg
豪州の蘭 ハンマー・オーキッド

オフリス.jpg
欧州の蘭 オフリス

アングラエクム・セスクイぺダレ.jpg
匿名の蘭=アングラエクム・セスクイぺダレ 花弁の一部が袋状に突出した筒状の蜜腺(距・きょ)を持つ。


<最近見た劇場映画>

1)「われらが背きし者」
イギリスの生真面目な大学教授とロシアンマフィアの友情。家族を巻き込んだモロッコ脱出を計画。

2)「永い言い訳」
小説家の夫は、妻とその親友がバス事故にあって亡くなった時刻、別の女性と密会していた。
小説家は、妻の親友の子供(兄妹)の面倒を見るようになる。



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詩「にょしんらいはい」 小川アンナ(1919~ ) [詩]

姥ケ沢ヴィーナス.jpg
姥ケ沢ヴィーナス



詩「にょしんらいはい」 小川アンナ

おんなの人を きよめておくるとき
いちばん かなしみをさそわれるのは
あそこをきれいにしてやるときです
としとって これがおわりの
ちょうどふゆのこだちのように しずかなさまになっているひとも
おばあちゃんとよんでいたのに おもいのほかにうつくしい ゆきのあしたのように
きよらかにしずまっているのをみいでたときなどは
ひごろいたらなかったわたくしたちのふるまいが
いかにくやしくなさけなく おもいかえされることでしょう
そこからうまれた たれもかれもが
けっして うみだされたときのくるしみなどを
おもいやってあげることなどなく
それは ひっそりと わすれられたまま
なんじゅうねんも ひとりのこころにまもられていたものです
てもあしもうごかず ながやみにくるしむひとのかなしみは
あそこがよごれ しゅうちにおおうてもなくて
さらしものにするこころぐるしさ


いくたびもいくたびも そこからうみ
なやみくるしみいきて
いまはもうしなえたそこを きよめおわって
そっとまたをとじてやるとき
わたしたちは ひとりのにんげんからなにかをしずかにおもくうけとって
いきついでゆくとでもいうのでしょうか

「母系の女たちへ」ペッパーランド編(現代企画室・1992年12月15日初版)




★ 再投稿 小川アンナさんの詩である。
身近にいてくれた今はもう亡き女性たちの姿が次々に脳裏に浮かぶ。
そのことによってこの詩は私にとって、その人たちが生きていたことを確認するためのものとなっている。

★体調が整わず帰宅すると、ぐったりとしぼんで眠り込んでいた。
★40年前の知り合いから私の生死を確かめるような留守電があった。
人とは執念深く何枚もの皮をかぶっているものだ。たとえ聖職者であってもだ。
★自分に限って、そしてあることに限ってはだが、辛辣になりすぎるのでブログには具体的なことが書けない。
★自分を井戸に沈め、土に埋めてきたが、どうやら谷底にばらまいた心情を物語詩にだけ吐露することができるようだ。
★触れると人を溶かしてしまう巻風のような追憶に襲われる。
★鑑賞映画「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」


柴犬カンチの足跡日記  人間の家族から愛されて育ったカンちゃんは、人を恨むことを知らない。
カンちゃんはいいなあ。
カンちゃんのブログ http://blog.livedoor.jp/kanchi_m/

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詩「津和野の風」 安野光雅     [詩]

「津和野の風」 安野光雅 詩    森ミドリ 作曲


夢に津和野を  おもほえば  
見よ城跡(しろあと)へ うすけむり
泣く子寝入るや 鷺舞ふ日  遠雷それて 風立ちぬ


泳ぎし川の 水車小屋  峠の黍(きび)を 渡る風 
夜汽車の胸に きしむ音  げに初恋に 似たるかな


ああわが谷は 霧の中 オルガンの歌 風に消え
老いしポプラは 影もなく 友呼ぶ子等の 声かなし


君巣立つとも 雲は行き 
春秋(しゅんじゅう) 里に めぐりきて
若葉みどりに 薫るべし 野いちご赤く 実るべし


帰れ汝(な)が家 あらずとも 
山の姿は 変わるまじ
帰れ待つ人 あらずとも 
おさなき日々は 風のなか


★ソネットブログの般若坊さんがよいと言ってくださった安野光雅さんの詩です。
前回、詩のはじめの方を省きましたので、今回は全部を掲載しました。

★安野光雅(あんの みつまさ)
(1926年~ 大正15年生まれ) ~は、日本の画家、装幀家、絵本作家、元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。現在は東京都小金井市在住です。







ミカラ・ペトリ (女性)リコーダー    フルートと共演
<最近聞いている音楽>ミカラ・ペトリさん(デンマーク)のリコーダー曲
大好きな「恋のうぐいす」や「天使のナイチンゲール」はユーチューブで探したけれどなかった








2CELLOS (トウ チェロズ) による 「They Dont Care About Us 」(マイケル・ジャクソン)
ルカ・スーリッチ(29歳・旧ユーゴスラビア・父はクロアチア出身のチェリスト)
ステファン・ハウザー(30歳・クロアチア出身)




柴犬カンチの足跡日記  何とよい家族なんだろう!目頭が熱くなります。
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詩「樹のなかの森」 水野るり子  詩誌「二兎」より [詩]

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詩  「樹のなかの森」 水野るり子


耳のそばで一本の樹がゆれている その太い幹に耳
を当てると はたはたと扉がゆれ・・・


そのわずかなすきまから ひとすじの路が樹の奥へ
とつづいている 暗がりの向こうに森のどよめきが
ある


 森のおくの苔いろの沼に
 太古の星が一つ沈んでいる・・・という
 その言い伝えはいつかうすれ
 ひとはこの世にひとときの夢を探し
 夢を後にしてまたどこかへ行く


 目を閉じると
 溺れかけたたましいを乗せ
 ほの白い澪(みお)を引いて
 ちいさな舟が新月の沼を渡っていく・・・
 かすかな水音がきこえてこないか


森を出外れると 家々の団らんのランプが あちこち
に明滅し その話し声は 何千年も・・・途切れては
・・・またはじまり・・・また途切れ・・・


いつか梢の近くに実るであろう・・・黄金の林檎のこ
とや その実の効用のこと その収穫の手段のことな
ど・・・梨色の灯影にしずむ食卓は談笑にさざめいてい



・・・と、


" アランのたましいは
もうイルカの時代を
過ぎただろうか ,,

” 砂色の尾びれをもつ
あのアランは
すでにこの星の近くをさまよっているのか,,



ふいに森の奥から 低い声がして 団らんの灯はふ
っと消え・・・


樹の森は闇の底に沈み 三日月のとがったオールが
ひとつ 空の高みから落ちてくる

詩誌「二兎」6号 2015年11月22日発行



★さまざまな音を収集する大きな耳が、あらゆるものに向かって開かれている。
 音を聞くと、いつしかそれが寄せ集まり、リズムを持ち初め音楽になる。
 音が消えゆくときに、音以外の静寂がいっそう深まり遠のいてゆく。
 砂色の尾びれを持つアランとは、時軸を旅するときに出会えるのかな。
 現実の団らんと幻想的な団らんは森のおくのひとすじの路でつながっている。
 
 
 
 
 
 
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干し草の日  水野るり子  詩誌「二兎」No.5より   象を撫でるー大きなものへ [詩]

詩誌「二兎」No.5  象を撫でるー大きなものへ



「干し草の日」  
 
作  水野 るり子 


裏庭に  一人の少女が
恐竜を放し飼いにしている・・・
そんなお話を読んだ※               ※池澤夏樹 「ヤー・チャイカ」より


まいにち、時間になると
五階のベランダに干し草を置いてやる
と、まもなく草原のほうから
一頭の恐竜があらわれて
首をのばし  その干し草をたべはじめる
・・・恐竜の目が笑っている
それが少女のわくわくする秘密だった


  そんな日を  (わたしも) 生きていた
  そんな日から  一歩  一歩  歩いてきて
  今は  あの恐竜の名さえ  うろ覚えだ
  (でぃ・・・でぃーぷ・・・ろどく?)
  (ディープロドク!)
  いったい  おまえは  今  どこに?
  あの大きな時間のなかで
  いつまでも  おまえに
  干し草をやりつづける気でいたのだが。
  
          *

夜ふけになると  ふときこえてくる  あれは
飼い切れなかったものたちの呼び声?
クジラ、 薔薇星雲、 そして遊ぶゾウたちなどの?


いま、草原をゆく綿毛たちのように光って・・・
沈んでゆく世界の片すみに
一頭の恐竜がうずくまり
その目がかすかに笑っている



★作者は今はもううろ覚えになってしまった恐竜の名を、記憶のなかからやっと呼び戻している。
  夜ふけ、ふと聞こえてくるクジラや薔薇星雲、遊ぶゾウたちの呼び声に耳をすます。
  作者の耳は星空に広がるダンボの耳?
  子供たちの間では「象列車よ走れ!」の曲が歌われている。
  


ヤー・チャイカ は小説「スティル・ライフ」(中公文庫)に掲載されている。
ヤー・チャイカとは、1963年ボストーク6号の宇宙飛行士テレシコワのコールサイン「私はカモメ」(ロシア語)
ヤー・チャイカ スティル・ライフに掲載.jpg


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絵本「ドード―を知っていますか」(福武書店) 絶滅した動物たちが描かれている。


世界は音.jpg
「世界は音」ナ―ダ・ブラフマー(人文書院) 
 世界は巨大な宇宙的楽器 J・E べーレント著 大島かおり訳



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詩「雨の旅」 水野るり子 詩誌 ひょうたんより [詩]

詩「雨の旅」  水野るり子



ひとけのないないカフェに
ひとりこしかけて
降りしきる雨の音に打たれている
注文を取りにくるものもいない


(前線が近づいていると言う予報・・・)


西の窓の近くに
さっきまで
ゾウが一頭すわっていた


のこされた
かすかな名残の・・・その足あと
ぬれ方や薄れ方でそれとわかる


決して ひとなれせず
影のように立ち去る、その気配
 (たくさんのものたちが そうやって)
もうもどってこない


一万年も記憶の水底に沈んだままの場所
かたむいた屋根のすきまから
潮のしずくが漏れている


ほの暗い卓上で
アンモナイトのスプーンが一本
キラと光り
また海の匂いが立ちこめてくる


タコぶね1.jpg
タコブネ

★歩いて行ってしまってどこかで生きのびているのか、跡形もなく逝ってしまったのか、生きものを代表したゾウの影の気配だけが、かすかに残っている場所(カフェ)がある。
私たちはその宇宙的な場所に招待されている。
静かに動いているファンタジーの時間帯に組み込まれている一万年前の場所に海の潮が漏れてくる。
雨水の音や海水の匂いのする場所の時間がつながって流れている縦横無尽な音楽的な場所があるらしい。


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