詩 「感傷的な草むら」 水野るり子 [詩]

「感傷的な草むら」 水野るり子    (詩誌 ひょうたんより)


夜の雨が降っている 部屋の片すみに戸棚が置かれて
いる どこかで見た戸棚だ 木目の引き戸に手をかけ
ると ふいに草むらの匂いがする

しんかんと風が吹いている あてもなく あるいて
あるいて 草の穂の匂いを胸に吸いこむ とおくに
古びた電話ボックスがある 小さなドアがいきなりば
たんと鳴る

(あ、かたわらに灰色の馬がつながれて首を垂れてい
る・・・耳だけがかすかにうごいている 百年も前に乗
りすてられた馬みたいだ)

月がのぼったのかあたりがあかるい バッタがいっぴき
足もとで跳ねる しゃがんで ゆびさきにつまむと
みどりの脚がてのひらを強く弾く でも放さない

(どこかにもうひとつの草むらがある気がして・・・)

つまづいた草の根の渦巻き 沼の匂い 小さな落と
し穴 小石で作った七つのお墓 片意地なあの子の
口もと ねころんで ならんで 見上げた空の伸縮・・・
まんまるい梨の実みたいないちにち あれは嘘?

もぎ取ることのできなかったいちにちへ・・・磁石の針は
振り切れ 手のひらでバッタの脚が冷えかける 子ども
たちの声が空から響く 雷鳴のように

(あ、さっきの灰色の馬は何処へ・・・ つながれていた
杭もない そのあたり、 ただ草むらが濡れてしんと
光っているだけだ)

帰ろうか・・・後ろ手に引き戸をさぐる 来た道を背中で
さがす 夜の雨の降りしきるあそこまで また 一歩
一歩後ずさりしながら 人知れず戻って行けるだろう
か、それとも・・・・。




現世と夢の世界の境界線に立つ。
行間(ぎょうかん)の音なき音を文字にすると「ジーン ジーン ジーン」。
銀河鉄道の夜の少年ジョヴァンニが、亡くなった友人のカンパネルラと
夜汽車の中で会話をし、いつの間にかいなくなってしまっていたカンパ
ネルラに気づいた後の嘆きに似た何とも言えない寂しさを、私たちは
何世紀にも渡って体験してきたが、まだ慣れることが出来ない。
水野るり子さんの詩には、姿を消したものたちへの哀惜の念が漂う。
(月夜のうずのしゅげ)


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