<この世の春 初恋>  実った恋 アニメ「白蛇伝」    ・    悲恋 映画「サンザシの樹の下で」 [アニメと映画]

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アニメ映画「白蛇伝」 日本初の長編アニメーション映画   1958年東映制作 (78分)
声優 (1人10役)宮城まり子  森繁久弥 


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映画「サンザシの樹の下で」 監督チャン・イーモウ 2010年

私自身とっくに古きよき時代の夢見る頃の年齢を過ぎていても、純愛作品には心惹かれるものがある。
恋と言う一瞬の時が、映画と言うものによって、フィルムに焼き付けられ、劇場と言う空間に入れば、何度でも人類共通の普遍的な恋の内容を、多くの人と共に、かいま見ることができると言うことに感嘆する。
恋とは、人の細胞の記憶(DNA)が、生命を継続させ、子孫を残すために、男女に働く力だから何のことはないと言う人に笑われても、ちっともむっとしない。
なぜならあり余るほどの情動や瞬発力や衝動が身内に戻って来て、深く切なく幸せになれるからだ。
冷笑して固まって乾燥してゆくより、よほど楽しいではないか。
アニメ「白蛇伝」と、映画「サンザシの樹の下で」の2作品の、つつましくただひたすらに素直な美しい恋は、これからどんな苦難が待ち受けているかが予想されても、彼らの幸せな一瞬を見る時、なぜか幸福感で鼻の奥がつーんと痛くなる。
純愛作品を見たくなるのは、日頃忘れ去っている喜怒哀楽への憧れや、ナイーブな羞恥心や戸惑いが蘇って来るからだろう。


アニメ映画「白蛇伝」 
時代は中国の宋。白蛇の精の白娘(パイ・ニャン)と人間の若者の許仙(シュウセン)が幾多の苦難を乗り越えて結ばれる物語。
花咲き匂う春を讃える庭園で、白娘(パイ・ニャン)と許仙(シュウセン)が、そぞろ歩きするこの世の春の一瞬の忘れがたい永遠の恋。

西湖のほとりに住む少年・許仙(しゅうせん)が一匹の白蛇を助ける。
ある日、若者になった許仙(しゅうせん)が横笛を吹いていると、笛の音に呼応するように胡弓の音色が聞こえてきた。
それは白蛇の精の白娘(パイ・ニャン)が奏でている胡弓で、2人は一目で恋に落ちる。
白蛇の精の白娘(パイ・ニャン)は妖術つかいなので、法力を持った法海和尚(ほっかいおしょう)に追われる。
いとしい白娘(パイ・ニャン)を追いかけた許仙(しゅうせん)は誤って崖から転落して死ぬ。
白娘(パイ・ニャン)は竜王のところへ行って、妖術つかいのままであれば永遠に生きられた命を、人間の命に変えてもらい、許仙(しゅうせん)の命を蘇らせてくれる命の花をもらう。
2人は虹のかかった海に浮かべられた小舟に乗り、皆に見送られて旅立つ。


映画「サンザシの樹の下で」
1970年代の文化大革命の頃の実話をもとにしたものである。
放下(ほうげ)と言う政策で、農村にやって来たいつも悲しげな娘ジンチュウは地質調査をしている快活な青年スンと出会う。
村にはサンザシの樹があり、いつもは白い花を咲かせるが、日本軍に殺された多くの兵士たちの血で紅い花が咲くと言われている。
2人の恋は禁止されながらもひそかに美しくひたむきに育ってゆく。
2人がみんなに許されて付き合うことが出来るまで「1年1カ月待つ」それがだめなら「25歳まで待つよ」それでもだめなら「永遠に待っている」とスン青年は、娘ジンチュウに告げる。
「永遠に待っている」と言う言葉は、娘ジンチュウその人、一人に向けられており、貴くてまぶしい。
スン青年は、地質調査のためにこうむった白血病(ウラン鉱脈調査・被爆したと考えられる)のために、駆けつけた娘ジンチュウの声を聞きながら亡くなる。
「2人で買った赤い布で作った服を着て、サンザシの赤い花を見に行こうと言ったじゃないの」と娘ジンチュウは泣きじゃくる。
スン青年は一筋の涙で答える。
川を中にして遠く隔てられた二人が、お互いを抱きしめ合うしぐさをするシーンは、みんなの心に刻み込まれ、まるで共通の美しい遺産ででもあるかのように、事あるごとに涙と共に思い出されるだろう。
スン青年はサンザシの樹の下に埋葬され、現在その場所は三峡ダムの湖底に沈んでいる。
娘ジンチュウはアメリカに渡った。


★ちょくちょく間違い字をただしたり、文を書き変えたりしています。
★絵本やアニメや漫画を子供だけが見るものとは思っていません。
★宮崎駿監督は、高校生の時、アニメ「白蛇伝」の白娘(パイ・ニャン)に憧れたそうです。
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