「春夏秋冬そして春」  キム・ギドク監督  [映画]

韓国映画「春夏秋冬そして春」                             
監督 キム・ギドク (1960年生まれ)
2003年 102分 カラー  

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原 みつるさん作

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 異端児、鬼才と呼ばれているキム・ギドク監督は、世の中で起こり得ることを、きれいごとで済まさず、しかも現実と幻想の溶け合った芸術的完成度の高い映像美の作品にしている。(古代的な霊的感覚が背後にある)
彼は、工場労働者、海兵隊、牧師志願、パリで画家修業、脚本家を経て35歳で監督になっており32歳までは映画を見たことがなかったと言う。
キム・ギドク監督の作品では、理不尽な事件や常軌を逸したことがらの展開が次々に起こるが、それは監督が、殺人やいじめや強姦や監禁の愛好者であるからではなく、映画に必要な場面だから撮影せざるを得ないのだ。
そう言うことをないもののように無視するのではなく、日常的な意識にのぼらせておくことによって、かえって配慮の行き届いた判断が出来るようになるのだと思う。
キム・ギドク監督は、娯楽大作レベルの「グムエル・漢江の怪物」(ポン・ジュノ監督)が多くのスクリーン奪ったことを批判し、韓国映画界から身を引くと宣言していたが、そのあと謝罪した。
監督を止めるわけではないので安心した。


(ひとりごと)
キム・ギドク監督を大嫌いな友人がいて、その人の個人雑誌のために書いたのだが、載せてもらえなかったので、こちらに掲載した。
「鬼平犯科帳」はただ今DVDで続けざま見て楽しんでいるところなので、ブログ紹介はのちほど!



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映画ストーリー「春夏秋冬そして春」
~春~
山奥の湖に浮かぶ寺で生活する老僧と、一人の少年僧の人生の春夏秋冬の物語。
人間の罪の愚かさと愛しさ、その苦しみの美しさに感じ入った。
子供の僧が、魚や蛙や蛇に石を結びつけて無邪気に遊んだ日、寝ている間に老僧から背中に石を結びつけられ、翌朝目覚めて彼らの苦しみを知る。
子供僧「背中に石が生えちゃった 早く取ってください」
老僧「どうだつらいか (魚も蛙も蛇も)苦しんでおる 探し出して石を取ってやりなさい。もし3匹のうち1匹でも命がなかったら、お前は心の中に石をかかえて生涯を生きるのだ」
魚と蛇が死に、子供の僧は結局、石をかかえて生きて行くことになるが、泣き叫ぶ子供僧と一緒に、まるで自分のことのように泣いた。
石をかかえていない人はこの世にはいないだろう。
 クリスチャンのキム・ギドク監督がインタビューに答えていたが、仏教は宗教と言うより習慣や文化だと考えているそうで、美しい四季と一人の少年が大人になってゆく時間を映像でとらえたかったそうだ。




~夏~
少年期から青年期に移行する途中の僧は、心の病で寺に預けられた少女と、虫や蛇が時節が来れば自然と結びつくのと同じように契りを結び、肉体の喜びを知る。
2人は離れられず夜どおし舟の上で抱き合い、朝眠っているところを老僧に見つかる。
少女の病はすっかりよくなってしまっていた。                 
老僧「どんな薬も(男女の交わりには)叶わんな これも定めであろう」
しかし少女は帰されることになる。                     
老僧「欲望は執着を生み、執着は殺意を生むであろう」            
手を下さずに船を移動させる不思議な力を持ち、小石をねらったものに命中させることが出来る老僧の、少年僧の未来の人生への洞察は、ここでもものの見事に的中する。
少年僧は素朴で柔和な表情の仏像を背負い、少女追いかけ寺を去る。
仏像の表情は、童女と成熟した女性が1つになっていて可愛く妖艶で慕わしい。
2人は結婚し、青年僧はやがて妻に裏切られ、裏切った妻を殺す。


~秋~
2人の刑事に追われた青年僧は、持ち出した仏像を持って寺に戻ってくる。
怒りと憎しみと悲しさを制御できず、「愚か者め、目を覚ませ」と老僧から棒で打たれる。
青年僧は、老僧が床に墨で書いた般若心経(漢字)を、妻を殺して血のついたナイフで彫るよう言い渡される。
自分自身の苦悩をたたきつけるように刻んでゆく青年僧の激しさ、飛び散り渦巻く熱い感情が真っ直ぐに込められた台詞は、韓国映画特有のものに感じられる。
追いかけてきた刑事も般若心経を彫る懸命な青年僧の姿に打たれ、青年僧のそばで蝋燭の炎をかざしたり、彫り終えて倒れ伏している青年僧に自分の上着を掛けたりする。
刑事の気づかいにも韓国の人の人間らしい情の濃い態度がうかがえる。
一夜にして般若心経を彫ると言う修行を成し遂げた青年僧は、穏やかな表情を取り戻し、2人の刑事に連れられて寺を去る。
1人になった老僧は、漢字で「閉」と墨で書いた和紙を目と口に貼り付け、船に薪を積み蝋燭で火をつけて穏やかに自分を荼毘にふし(自死を決行し)蛇の化身となって泳いで寺に戻る。
キム・ギドク監督の霊性を帯びた独特の世界観であると思われる。


~冬~
服役を終えて寺に戻った壮年期の僧役にキム・ギドク監督自身がなっている。
彼が、穴の開いた石の台座を縄で腰に結びつけ、石の仏を抱いて山に登る苦闘のシーンと、彼が子供の僧だった頃、魚や蛙や蛇に小石を縛り付けて苦しめた姿がだぶった。
流れて来るキム・ヨンミン(国民的民謡歌手)の民謡アリランはもう単なる歌ではなく、最初から沸点に達していて、直接こちらの魂に浸透する魂そのもの。
監督は「アリランは辛い時に歌う歌と言うよりも、辛さに伴って出てくるうめき声のようなものだ」と言っている。
ある夜スカーフで顔を全部隠した女性が寺を訪ねてきて泣きながら祈り、男の赤ちゃんを置いて寺を出て行きますが、氷の張った湖に開けられた穴に落ちて亡くなる。




~ふたたび春~                               
壮年僧は寺で赤ちゃんを育てる。                       
成長したいたずら盛りの少年僧が亀と戯れる時、亀に無邪気ないたずらをして死に至らしめはしないかとひやひやした。
生きものをそれと知らずにいじめてさえも、死に至らしめるならばそれは少年僧の人生の業となる。
少年僧は、四季折々の美しい自然の中で厳しい修行を行い、人間としての苦しみや喜びを、人や他の生き物との出合いによって味わいながら生きていく。
僧の修行は人知れず繰り返され、衰退し復興し、又衰退し復興しながら春夏秋冬を重ねてゆくに違いない。



秋山まほこ人形館
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柴犬カンチの足跡日記
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