羅須地人協会 年譜「宮沢賢治伝」堀尾青史・著 [本]

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賢治は下根子桜(地名)の祖父の別荘に手を入れて独居した。
別荘は賢治が他界した後売却され、現在は岩手県立花巻農業高等学校内に移転している。
鍵を借りて中に入ることができる。


賢治は1926年3月、岩手県立花巻農学校を退職し、祖父の別荘で羅須地人協会を立ち上げた。
町内の青年三十余名とともに農村文化の創造と農業改善に努力した。
母や妹が賢治の粗食を憂えて食べ物を届けたが、一切食べなかった。
母が「賢さん、そんなにかせがなくともいいのに」と言うと
賢治は「あたりの畑に一人でも村の人がかせいでいるうちは、やめません」と言う。
「あの人たちには家にちゃんとはたらく女の人たちがおって、ご飯のことをする。帰ればすぐ食べられる。賢さんは帰ってもそうはいかないでしょう。早く畑仕事をやめても、だれも何とも言わんでしょうに」と母が言っても、賢治は聞かなかった。



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羅須地人協会にある井戸

近くに住む伊藤忠一(教え子)は、賢治の独居の物音で、先生が今何をしているのかがわかる。
それにしても、あの粗食と労働、そして執筆では、どう考えても体がまいりはしないかと思われる。
めしを炊くのも林の中の炊事場で、鉢巻をしてエスペラントの勉強をしながら炊いている。略。
寒くなると炊事場は家の中へ移ったが、あいかわらずめしは炊きおきで、つめたい固いめしに塩をふりかけるだけである。(夏はめしに梅干しを入れそれをざるに入れて井戸につるした。)
ふろは林の中に煉瓦で塀を作り、水槽から水が流れるようにして冷水浴をしていたが、めんどくさいのか井戸端で行水をしている。略。

また読経やいい声で歌うのも聞いたが、時には奇声を発するのも聞いた。
それは奇怪な霊界、幻聴などが襲う時だということであった。
賢治の父は、賢治の超能力をタブー視し、外部には一切もらさなかった。

羅須地人協会には、明るくて活発な高瀬露という女性が賢治の世話を焼きに頻繁に訪れるようになり、大島に住む伊藤ちえという女性も兄と2人で訪ねて来たのであった。



★ブログ主の個人的な状況 
捻挫で左足が痛くて歩けない状態。
明け方、父が夢枕に立ち、山奥の実家の部屋で横たわっている2人を指差した。
その日の午前中に、56歳の独身のいとこの男性が脳内出血で3日前に亡くなっていたと叔母から電話があった。
横たわっている人は2人だったのだがもう一人は誰?
 

柴犬カンチの足跡日記 http://blog.livedoor.jp/kanchi_m/ 
こんなに乙女チックな人間好きなワンコも珍しい。



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