沈黙-サイレンス-  (3)個人的な覚書~つづく~ [映画]

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井上筑後守(いのうえちくごのかみ 宗門奉行)  イッセー・尾形

一見してほんわかムード、子供のような無邪気さを持つ井上筑後守は、ものわかりの良さそうな温和な人物に見えた。
「余が今、切支丹の禁制を命ずるのは、世間一般の考えとは同じでない。」
「余は、切支丹を邪宗とはつゆ、考えたことはない。」
「エスパニア、ポルトガル、オランダ、エゲレスとそれぞれ名のる女たちが、日本と申す男の耳に、夜伽(よとぎ)のたび、たがいの悪口を吹き込み申してな」
「一人の男に醜女の深情けは耐えがたい重荷であり、不生女は嫁入る資格なしとな」



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しかし宣教師たちから悪魔と呼ばれていた井上筑後守は、蛇のような狡猾さで、巧みな方法を駆使し、それまでは拷問や脅しにもひるまなかった信徒たちを、次々と棄教させている。
先に長崎奉行として多くの切支丹を虐殺した竹中采女(たけなか・うねめ)などは、たんに凶暴で無智な人間に過ぎなかった。
井上筑後守が考案した穴吊りの刑は、司祭たちを棄教させた最たるものだった。


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井上筑後守はかつて切支丹だった。

日本の貧しい百姓の信徒たちが、何よりもまず聖母を崇拝していることを熟知していたので、踏み絵が終わったあと、「おまえらの息づかいが荒くなったのを見逃しておらぬぞ」と言って、踏み絵に唾をかけ、「聖母は男たちに身を委(まか)せてきた淫売(いんばい)」だと言わせた。
言えない者は切支丹とみなされた。
「沈黙」遠藤周作 を参考にしました。・・・ブログ主

<穴吊りの刑で呻いていた5人の切支丹たちを助けるために棄教した司祭フェレイラのことば>
〇デウスと大日とを混同した日本人は、その時から我々の神を彼ら流に屈折させ変化させ、そして別のものを作り上げ始めたのだ」「沈黙」遠藤周作 より

〇日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力を持っていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない。」「沈黙」遠藤周作 より

〇日本人は人間を美化したり拡張したものを神と呼ぶ。人間と同じ存在のものを神と呼ぶ。だがそれは教会の神ではない。」「沈黙」遠藤周作 より


★通辞(通訳)や元司祭フェレイラと司祭ロドリゴとの問答も面白い。次回に~つづく~


柴犬カンチの足跡日記 
小さな坂を下りる時のカンちゃんは、下にいる人に受け止めてもらおうとして上からムササビのように飛びつく。
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