沈黙 -サイレンス- (2)個人的な覚書 ~つづく~ [映画]
キチジロー(性格そのものは本当に善良だが、意志の弱さと一寸した暴力にも震え上がる臆病者であり、捕まるたびに何度でも踏み絵をして転んだ(棄教したふりをした?)。
そのたびにキチジローは、執拗に司祭ロドリゴの後を追い、罪の許しを得ることができる告解(懺悔)をした。
キチジローは言う
「踏み絵をば俺(おい)が悦んで踏んだとでも思とっとか。踏んだこの足は痛か。痛かよォ。俺(おい)を弱か者に生まれさせ(て)おきながら、強か者の真似ばせろとデウスさまは仰せ出される」 仰せ出される・・・小説の中の原文のまま (遠藤周作 「沈黙」より)
銅版(踏み絵)のあの人は言う
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番知っている。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ。」(遠藤周作 「沈黙」より)
「あれは鼾(いびき)ではない。穴吊にかけられた信徒たちの呻(うめ)いている声だ」
信徒たちはすでに転んでいるので、ロドリゴさえ棄教すれば、彼らを助けることができる。
ポルトガル・カトリック教・イエズス会・司祭ロドリゴは転んだ。 岡田三右衛門と言う日本人名と罪人の妻子をもらい受けた。64歳没。
「母なるもの」遠藤周作 新潮文庫
裏切者や背教者、弱者や罪人にも救いはあるか?
★キチジローのことを思うと泣けてくる。自分と重なるところがあるからだろう。
★皆様のところへはゆっくり訪問させていただきます。3月の初めまで投稿はお休みする予定です。
柴犬カンチの足跡日記
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