「不可思議プランツ図鑑」誠文堂新光社 文・木谷美咲  絵・横山托彦 [本]

昔から不可思議な植物に興味があったブログ主の「うずのしゅげ」(おきなぐさのこと)は、店頭で見つけた「不可思議プランツ図鑑」にしばらく見入ってしまい、有り金はたいてついに購入してしまった。(今夜と明日のおかずはもやしと漬物だ)
毎晩読むのが楽しみでしょうがない。

イラストレーターの横山托彦さんによって描かれた力強くもとろ~りと濃くかつ繊細な絵。
少年と博士の会話でつづられてゆく木谷美咲さんのユーモラスな文が大変気に入ってしまった。

不思議プランツ1.jpg
「不可思議プランツ図鑑」誠文堂新光社  文・木谷美咲  絵・横山托彦(よこやまたくひこ)
★世界中の植物のイラスト100点を横山托彦さんが担当。
★上の本のカバーの写真、向かって左の永遠の螺旋野菜の名前は、ロマネスコ(カリフラワーの仲間)。
ゆでて塩やマヨネーズで食べるが、お好みで。
幾何学的な螺旋。フラクタル(部分と全体が相似形になっているという概念)


オオカマキリ。絵・横山托彦。もともとは昆虫の精密画を描いている人だ。
カマキリ.jpg
今にも動きそう!おみごとです。


ハエトリソウ(蠅地獄)・食虫植物  絵・横山拓彦
100種あり。北アメリカのノースカロライナとサウスカロライナだけに生えている。
二葉が折りたたみ式になっていて小さな昆虫を0・5秒で挟み込んで食べる。
どろどろに溶かされて栄養になるが、光合成でも十分に育つ。
ハエトリソウ.jpg





セファロタス(写真下) 食虫植物。オーストラリアの南西部のみに自生する。
袋には消化液が入っていて虫が入るとふたをし、消化吸収する。
セファロタス.jpg


「私、食虫植物の奴隷です」水曜社
 著者・木谷美咲  食虫植物愛好家、文筆業。
木谷美咲.jpg


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明日10月25日がカン子ちゃんの12歳の誕生日。
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ノンフィクション作家だってお化けは怖い 工藤美代子 [本]

お化けは怖い.jpg
ノンフィクション作家だってお化けは怖い 工藤美代子 角川書店 2015年5月30日(初版)


「会いたかったわ貞子さん」(ノンフィクション作家だってお化けは怖いより)
私はときどき、あの世の人たちと遭遇してしまう。最初は半信半疑だったのだが、今はもうはっきりと認めている。多分、私はそういう体質なのだと。そして彼らの存在も肯定している。なんだか理由は分からないが、あの人たちには、彼らなりの必然があって私の前に現れているのだろう。


★お盆前に涼しくなりたくて読んだ本。
 目次だけでもかなり怖い。

「目次」
1)霊はやっぱり怖い
2)変な人たちがいる街
3)真夏に起きた不思議な話
4)眼を合わせてはいけない人たち
5)真冬の朝顔
6)時計だって嫉妬する
7)5か月だけ住んだ家
8)なぜ着物なのですか
9)会いたかったわ貞子さん
10)ヨシエさんの霊感
11)子供たちからのメッセージ
12)殺スル人ガイルカラ殺サレル
13)怖い顔の話

以前読んだ「もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら」(工藤美代子 2011年 メディ
アファクトリー)が個人的には一番怖かった。
その後、「なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか」(工藤美代子 2012年 中公文庫)も読んでいるが、岩井志麻子氏との対談も面白かった。


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羅須地人協会 年譜「宮沢賢治伝」堀尾青史・著 [本]

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賢治は下根子桜(地名)の祖父の別荘に手を入れて独居した。
別荘は賢治が他界した後売却され、現在は岩手県立花巻農業高等学校内に移転している。
鍵を借りて中に入ることができる。


賢治は1926年3月、岩手県立花巻農学校を退職し、祖父の別荘で羅須地人協会を立ち上げた。
町内の青年三十余名とともに農村文化の創造と農業改善に努力した。
母や妹が賢治の粗食を憂えて食べ物を届けたが、一切食べなかった。
母が「賢さん、そんなにかせがなくともいいのに」と言うと
賢治は「あたりの畑に一人でも村の人がかせいでいるうちは、やめません」と言う。
「あの人たちには家にちゃんとはたらく女の人たちがおって、ご飯のことをする。帰ればすぐ食べられる。賢さんは帰ってもそうはいかないでしょう。早く畑仕事をやめても、だれも何とも言わんでしょうに」と母が言っても、賢治は聞かなかった。



井戸.jpg
羅須地人協会にある井戸

近くに住む伊藤忠一(教え子)は、賢治の独居の物音で、先生が今何をしているのかがわかる。
それにしても、あの粗食と労働、そして執筆では、どう考えても体がまいりはしないかと思われる。
めしを炊くのも林の中の炊事場で、鉢巻をしてエスペラントの勉強をしながら炊いている。略。
寒くなると炊事場は家の中へ移ったが、あいかわらずめしは炊きおきで、つめたい固いめしに塩をふりかけるだけである。(夏はめしに梅干しを入れそれをざるに入れて井戸につるした。)
ふろは林の中に煉瓦で塀を作り、水槽から水が流れるようにして冷水浴をしていたが、めんどくさいのか井戸端で行水をしている。略。

また読経やいい声で歌うのも聞いたが、時には奇声を発するのも聞いた。
それは奇怪な霊界、幻聴などが襲う時だということであった。
賢治の父は、賢治の超能力をタブー視し、外部には一切もらさなかった。

羅須地人協会には、明るくて活発な高瀬露という女性が賢治の世話を焼きに頻繁に訪れるようになり、大島に住む伊藤ちえという女性も兄と2人で訪ねて来たのであった。



★ブログ主の個人的な状況 
捻挫で左足が痛くて歩けない状態。
明け方、父が夢枕に立ち、山奥の実家の部屋で横たわっている2人を指差した。
その日の午前中に、56歳の独身のいとこの男性が脳内出血で3日前に亡くなっていたと叔母から電話があった。
横たわっている人は2人だったのだがもう一人は誰?
 

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こんなに乙女チックな人間好きなワンコも珍しい。



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賢治にとりつかれた人々「賢治文学 呪いの構造」山下聖美 [本]

山下聖美氏は、字もそっくりに賢治になりきる弟・清六氏に言及し、歯に衣(きぬ)着せぬ率直な意見を述べる日本近代文学研究者である。


以下「賢治文学 呪いの構造」著・山下聖美より
賢治の弟の清六氏は、八歳年上の兄・賢治が宮沢家の長男としての役割を果たせなかった家業を引継ぎ、結婚し、子供をもうけ、賢治の原稿を戦災から必死で守った。
このような働きは最大に評価してしかるべきものである。
しかし賢治を研究したり、評論しようとする者は、こぞって清六氏のもとを訪れて、おすみつき「清六マーク」をもらうために顔色をうかがった。
「清六詣(もう)で」なしに、賢治についての文章は発表できないという暗黙のルールが存在していたのだ。

作品の解釈は読者にゆだねられているわけで、読者がどう感じようと、それはそれでまったく自由なはずだ。
ましてや作者自身でもない遺族が、読者の解釈を制限するなどあり得ない話である。

賢治 リヤカー.jpg
羅須地人協会時代(1926年~1928年)の賢治。 当時花巻にリヤカーは20台ほどしかなかった。賢治は、リヤカーに開墾畑で作った西洋野菜や西洋の花々を乗せて売って回ったが売れなかった。


<賢治をめぐる現象>
1996年賢治生誕百年のその年、日本には空前の賢治ブームがおとずれた。
テレビ・新聞・雑誌などのマスコミ、映画・演劇・朗読・コンサートなど宮沢賢治の名前を聞かない日はないといってもよかった。
「賢治まんじゅう」「賢治弁当」「賢治クッキー」「賢治キーホルダー」「賢治Tシャツ」などが売られた。
鳥山敏子は、「賢治の学校」なる本を出し、賢治の素晴らしい教育を実践する自らの教育論を述べたうえで、「みんなが賢治にかえる、みんなが賢治になれる」と主張した。
この本は十万部を超えて売れたというから、十万人を超える人が「賢治になれる」と少しでも感じたことになる。
1996年をピークに、もはや賢治は確実に、遺族にも手に負えないほど、不気味に膨張した存在になってしまったのである。

~~~つづく~~~

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武田鉄矢「小説 賢治売り」・「賢治文学 呪いの構造」山下聖美 [本]

俳優の武田鉄矢は、賢治を崇拝し、賢治の宣伝係を自負している。
しかし賢治童話は、不気味で物騒な雰囲気が漂っているから、子供には読ませたくないと言っている。

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<賢治童話>
注文の多い料理店・・・詐欺による殺人未遂
銀河鉄道の夜・・・少年の臨死体験
グスコーブドリの伝記・・・職務完遂のための殉死
なめとこ山の熊・・・熊に襲われ、死亡した猟師
風の又三郎・・・見慣れぬ転校生に妖怪のあだ名をつけ、いじめる在校生
ひかりの素足・・・幼い兄弟の雪道での凍死事故
よだかの星・・・醜さを苦にした鳥の自殺
(武田鉄矢「小説 賢治売り」)より

★上記の判断は当たっているとも思えるが、なんだかあっさりしすぎているので「賢治文学 呪いの構造」を書いた山下聖美氏の文章も見ることにする。


山下聖美氏は、賢治童話は実は大人のための童話であると言う。
話はどんどん怖いほうに傾いていくのだが、賢治童話「土神ときつね」は、樺の木(女)、土神(男)、狐(男)との三角関係の愛憎の果ての惨劇が、実に恐ろしくラストに描かれている。それはまさに殺人鬼の残酷シーンであり、もはや『八ッ墓村』の世界だ」と言う。
また賢治童話「雪渡り」は、人間の四郎とかん子が、狐の幻燈会に呼ばれる話だが、「そんな場所に呼ばれてしまうことの恐ろしさを、秘め隠しているのである」「それはまさに幼い兄妹が、現実ではなく、死の世界へと向かっていることを表わしているのだ」
「兄妹の四郎とかん子の名前も不吉なものとして浮上してくる。四郎の「し」は「死」に、かん子の「かん」は棺おけの「かん」として不気味に響いてくる。」とも言う。
「結局、賢治童話は大人の童話であるのと同時に、やはり子供も読む童話なのである」「子供たちは、砂糖のコーティングをなめながら、狐と主人公たちの会話を無邪気に楽しむ。そこに放たれる死の匂いを無意識のうちに嗅ぎながら」
「大人たちは砂糖のコーティングを突き破って、その深部に広がる恐ろしいものを、のぞいて見ようではないか。賢治童話の深読みの世界を味わってこそ、大人の解釈と言えるだろう」
(「賢治文学 呪いの構造」山下聖美より抜粋)



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恐るべき数字の謎  「賢治文学 呪いの構造」山下聖美 三修社 [本]

<賢治童話における数字>「賢治文学 呪いの構造」山下聖美より
 第3章の一部から

賢治童話に出てくる具体的な数字は、得体のしれない不気味な匂いを放つ存在である。
現実的に考えれば明らかにおかしい数である。尋常ではない。
一例として植物や人間の化け物がたくさん出てくる「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」では
三千六百五十三回落第した学生が出てくる。
また童話「ツエねずみ」では、自分の気に入らないことをした者に「償って(まどって)おくれ」を二百五十回繰り返すツエねずみがいる。
童話「カイロ団長」では、あまがえるがとのさまがえるが売っている酒を三百四十二杯、粟粒のコップで飲んで借金が増えてゆく話である。

「賢治文学 呪いの構造」山下聖美 三修社
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賢治童話「ポラーノの広場」ではつめくさの表面の花を正面から見ると、茶色い模様が見える。
それが数字に見えてくるのである。
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1256、1758、3426、3866、2556と具体的に見えているところが不気味であり、さらに五千まで数えれば、なぜ「ポラーノの広場」に到達するのかも謎であると筆者の山下聖美は言う。

文芸批評家・清水正の(三・六・九)説では、すべての数に意味や潜在的な力があると考えられている。
数秘術的な解釈によって「銀河鉄道の夜」を検討してみると、
「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」と水死したカンパネルラのお父さんが言います。
数秘術的な解釈では、四と五をたして九とする。
古代ユダヤの時の数え方では、イエス・キリストが息を引き取ったのが九時である。
カンパネルラの死が象徴的に決定づけられる。
イエス・キリストが十字架に架けられたのが三時、地が闇に覆われたのが六時となっている。

賢治童話の「北守将軍と三人の医者」の中に出てくる180、360、18は数字を切り離してたしていくと九になる。
賢治童話「ポラーノの広場」の数字をたしていくと、1256は(5)、1758は(3)、3426は(6)、3866は(5)、2556は(9)。5・3・6・5・9となる。
9に隣接する数(前の数)は、5となり、賢治童話「ポラーノの広場」に出てくる「五千まで数えれば」は広場に到達する数である。

★賢治は一つの言葉や名前を何度も繰り返す習癖があるようだ。
化け物の世界を表している「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」の初期原稿は
「ペンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
ネンだけ数えてみると63回だ。
読んで聞かされる弟妹たちが短くしたほうがいいと言ったという。
「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」のような初期の童話はとてつもないパワーがあって大好きである。
頭脳明晰な編集者に分かりやすく整理されたり、削除されないで残っているカ所があることは、パワー満タンの不思議な言葉を感じることができるのでありがたいことだ。



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タブー破りの賢治論 吉田司著 「宮沢賢治殺人事件」 文春文庫(その1) [本]

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吉田司著 「宮沢賢治殺人事件」 文春文庫 初版1997年1月

★賢治ファンの多くの読者からは猛反対され、賢治学の研究者たちは全員無視を決め込んだ、物騒な題名の「宮沢賢治殺人事件」の著者、吉田司氏は言われる。

みんなみんな、「童貞のままで死んだり」「菩薩行者をめざしたり」した賢治の稀有(けう)で無垢なる「物語が欲しかったのであって、「実物」の賢治が欲しかったのではない。
「賢治生誕100年祭のある日、私は決めた。
賢治の亡霊(ゴースト=肥大化した虚像)を倒し、等身大の賢治の物語を取り戻そう。
そしてその軽々と小さな、彼の無名の魂を、あの花巻のお墓の下にそっと返してやろう。
私は賢治のゴーストバスターズになるのだ」

日本人はなぜ 賢治=聖者伝説を必要としたか。
日本中の<聖なる即身仏=聖なる賢治>を欲しい人々、すなわち<賢治教>の教徒たちが、寄ってたかって護持し続けてきたのだ・・・・彼らの<実像>殺しによって、今日の誇大化した賢治ブームがある。

『宮澤賢治殺人事件』では、生誕百年(1996年)を期して宮沢賢治を賛美する関連書籍が数多く出る中、賢治が国粋主義的な仏教団体である国柱会に属していたことから、長生していれば戦争に協力した可能性や、農民への無償の奉仕や文化活動を試みた羅須地人協会の非現実性を指摘した。
さらに著者の母親(吉田コト)が、賢治没後の宣伝に一役買ったことにも触れて偶像破壊を行い、物議を醸した。




<「宮沢賢治殺人事件」の帯や裏表紙に書かれてある文から引用>

無名の宮沢賢治売り出しに関わった母(吉田コト)を持つ著者が、聖者伝説を作り上げた吉本隆明から中沢新一までの賢治御用達の知識人や、情報を独占する宮沢家・出版業界の共謀を暴(あば)き、「賢治教」を信奉する現代日本の精神に挑んだ。
デクノボーとしての賢治を再生させ、伝説化した賢治の亡霊を葬るスキャンダラスな賢治論。

私たちは決して(賢治)ではない。
賢治がこの世で生き難かった哀しみは愛するが、賢治のように子守唄に呪縛されたりはしないと。
私たちはもう少しおとななのだと。


★「ひとというものは、ひとのために何かしてあげるためにうまれてきたのス」(賢治が母イチから毎夜聞かされていた寝物語)。
賢治の家は花巻の財閥で質屋と古着商をしていた。母イチの家も財閥であった。
賢治はどのようにして、どの程度の <ひとのために何かしてあげる>を実行したらよかったのだろう。
父は悪人正機説で有名な浄土真宗の信徒であった。
賢治は心象童話「洞熊学校を卒業した3人」の中で「なまねこ なまねこ なまねこ なまねこ」と言うお経を唱えながら、ウサギや狼を食ってしまうタヌキの姿をした僧侶を描いている。
★ブログ主は、賢治を最後の最後まで、裏から手をまわして経済的にも支え続けた父の宮沢政次郎のことも考えてみたい。


~~~吉田司著 「宮沢賢治殺人事件」~~1章から~8章まで順を追ってつづく~~~



柴犬カンチの足跡日記 カンちゃんのおいたや悪さもかわいいと思う親ごころ
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こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか・・・宮沢賢治の見た心象  板谷栄城・著 NHKブックス他 [本]

<賢治の異空間幻想第四次の世界>とは

賢治の感じた四次元空間は数学的なものではありません。
それは私たちの生きている通常の三次元空間に、心象と言う次元を加えたもので
心象の異空間のことです。
(宮沢賢治の見た心象  板谷栄城・著)より

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絵本 銀河鉄道の夜 イラスト 司修  偕成社

★(宮沢賢治の見た心象 板谷栄城・著よりヒントを得てブログ主が記述)
「銀河鉄道の夜」の中でジョバンニは、<露の降りかかった小さな林のこみちをどんどんのぼってゆき>丘の頂に冷たい体を投げ出すと、汽車の音が聞こえてきます。
そのあたりでジョバンニは眠ってしまうわけですが、気がついた時には、夜の軽便鉄道の中にいて、亡くなったカンパネルラに会います。
「銀河鉄道の夜」の中では、眠りの中で、夜の軽便鉄道に乗ることが出来ています。
賢治が四次元空間で感じた動く心象風景を童話にしてその童話の中のジョバンニは夢の中で、四次元空間の中をカンパネルラと一緒に旅するわけですね。
賢治がお話の中に入ってゆく時には一時的な意識の空白(通常の世界から心象の世界へ行く)を通過します。 それを賢治は喪神(そうしん)とよびました。

★<賢治と賢治の分身のジョバンニは2度、喪神(そうしん)に出会う)~2度意識の空白を通過する>
賢治・・・・・通常の三次元空間から一時的な意識の空白へ、そしてそこで、心象の異空間の童話「銀河鉄道の夜」を書く。
賢治に書かれた童話「銀河鉄道の夜」の中のジョバンニは・・・・・通常の三次元空間の中で眠りこみ、四次元空間の軽便鉄道に乗っている。

賢治の三次元空間から四次元空間へ・・・・・ジョバンニの三次元空間から・四次元空間は、空也像の口から出た像(六体の仏)のようにがつながっていますね。
私個人の突飛で勝手な空想ですが空也像が浮かんできました。
空也.jpg
空也(903~972) 平安時代の中期の僧
空也像(六波羅蜜寺) 鎌倉時代 康勝(運慶の四男)作


(以下、「宮沢賢治の見た心象」 板谷栄城・著)より
幻想第四次の世界と聞いて、いよいよ四次元空間論だと期待される人、あるいは敬遠なさる人もおありかも知れません。
そもそも幻想と言うのは不安定なものですから、賢治の言葉は、幻想なるがゆえに不完全な第四次と言うことでしょう。
となると賢治は不完全な第四次とは別に、完全な第四次元空間(数学的)を考えていたと考えざるをいません。


※完全な第四次元空間とは、ヘルマン・ミンコフスキー(リトアニア)の説く数学的な四次元空間は、通常の三次元空間に時間と言う次元を加えたもので、時間的四次元空間と言われるものでした。

賢治の感じた四次元空間は数学的なものではなく、通常の三次元空間に心象と言う次元を加えた、心象の異空間です。

「銀河鉄道の夜」の中で、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか・・・と書いた賢治は、自分の異空間が数学的な四次元空間のような、論理的に完全な空間ではないことに不満を抱いていたということでしょうか。

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絵本 銀河鉄道の夜(星座図) イラスト 司修  偕成社



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鋭い指摘の矢 山下聖美「宮澤賢治のちから」(新潮新書)より [本]

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「宮沢賢治のちから」著者 山下聖美 新潮新書


本の題名の「宮澤賢治のちから」とは、様々なエピソードと稀有な心象作品で人を魅了してやまない今は亡き賢治本人の存在はもちろんのこと、戦中戦後を通じて日本人の心の支えになり、日本人の心の中に脈々と生き続けてきた「雨ニモマケズ」のことでもある。
「雨ニモマケズ」は、賢治が残したトランクのふたの内側にある内ポケットにひっそりと残されていた黒い手帳に書かれており、昭和九年二月、東京で開かれた第1回宮沢賢治友の会で、宮沢清六氏(賢治の弟)によってはじめて発表された。


「雨ニモマケズ」は、第二次大戦中昭和17年「詩歌翼賛第二集」と言う雑誌(数十万部発行された)に掲載された。
発行元の大政翼賛会は、ドイツのナチス的体制を模倣して作られた、侵略戦争を鼓舞する政治組織だった。
「雨ニモマケズ」は、数奇な運命をたどりながら、日本人の記憶に刻まれていった。
戦前よしとされてきた多くのものが否定された戦後も、「雨ニモマケズ」は教科書に掲載された。
「雨ニモマケズ」が、折々の指導者層にうまく利用されてきたという面は否めない。
しかし、それが戦中戦後を通じて日本人の心の支えとなってきたことは事実である。
日本中のいたるところに、賢治の個人的な理想ともいえる「雨ニモマケズ」の詩碑が建てられた。
「~ニモマケズ」と言うフレーズは今に至るまで、オリジナルはもちろん様々なパロディーでもお馴染みのものとなっている。
もはや宮沢賢治は、さまざまな媒体により再生産される、経済的価値を伴うブランドとなっていた。
一人歩きを始めた賢治とその作品群。その歩みは、二十一世紀を迎えた現在も衰えることがない。



<賢治を37歳の若さで死に至らしめた性向の一因は両親によってつくられた>のではないか

★思いも及ばない本書、山下聖美「宮澤賢治のちから」の指摘に唸ってしまった。
そう言うことも原因の一つとしてあるかもしれないと思われるのだった。
なかなか言いにくいと思われることについても単刀直入に述べている。


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<父 宮沢政(まさ)次郎>
賢治が7歳の時に、膝に腫れものができたことがあった。
父の政次郎が素人療法で薬をぬったところ、今度は火傷のようになってしまった。
耐えかねた賢治が痛みを訴えると、政次郎は「そのくらいのことで男の子が痛いのか」と叱りつけた。
父のこの言葉こそが、賢治が終生、痛みに呪縛されるきっかけになったのではないだろうか。


イチ1.jpg

<母 イチ>
母イチによる賢治の自己犠牲の精神の、最も身近な象徴が、痛みと言う感覚であったのかも知れない。

★賢治と母の関係、賢治と父の関係は心理学者によっても研究し尽くされている。
★以下はブログ主が他の本から選択して記述。
「人と言うものは、人のために、何かしてあげるために生まれてきたのス」と母イチは、賢治と添い寝をしながら、毎晩のように言ってきかせていたそうだ。(「父は子をどのように見ていたか」森荘己池 宮沢賢治童話集 中央公論社 1971.11月)


母イチ「どうして賢さんは、あんたに(あのように)、人のことばかりして、自分のことは、さっぱりしない人になったべス」
弟清六「なにして、そんなになったって言ったって、お母さんが、そう言って育てたのを忘れたのスか」
(宮沢賢治の音楽 著者佐藤泰平筑摩書房)


★鋭い指摘の矢は、すこぶる評判の良い賢治の弟、清六氏にも及ぶ。
研究者の場合、必要に感じれば、ほとんどの人間が作者の家族に会いに行かなければならないこともあると思うが、それは「清六詣(もう)で」と呼ばれ、間違いがないというお墨つきは「清六マーク」と呼ばれていた。
清六自身が賢治になってしまったかのような錯覚を抱いてしまったようであった。
(鶴田静「ベジタリアン宮沢賢治」より)




★下記をクリックすると人情味あふれる「柴犬カンチの足跡日記」を見ることができます。
カンチちゃんは「雨ニモマケズ」なんて知らず今日も家族に甘え、仰向けに寝て家族をなごませている。
お肉が大好きなのだが、たまにしかもらえず、好物のうどん(ダイエット中なのでそうめんに変えられている)をうまそうにすすっている。
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賢治研究家の探石行の話 「宮沢賢治宝石の図誌」より 著・板谷栄城 [本]

<石の愛好家が、小耳にはさんだ黄玉(きだま 玉髄のこと)にやっと出会えるまでの話>
★「宮沢賢治宝石の図誌」の著者・板谷栄城氏が本格的に宮沢賢治の研究をするようになる以前のお話。


友人曰く 「もちろん滝沢(盛岡の西隣 鬼越)の黄玉(きだま)はお持ちでしょう?」
板谷氏 「いや。持っていません。滝沢で、そんな石が出るんですか?」 ~略~
友人 「磨くとトロッとした艶が出てきましてね」

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友人は黄玉が出る場所をとうとう教えてくれませんでした。
板谷氏が、盛岡市の市立図書館で、「野村胡堂氏(銭形平次捕物帳の作者)寄贈」の棚にあった「南部叢書」を、ぱらぱらとめくっていると、鵜飼村の所に・・・古来火打石を産す・・・とあるではありませんか。
ついに燧掘山(カドホリヤマ)と言う地名を発見することができました。
燧(カド)とは火打石のことです。

燧掘山(カドホリヤマ)の北側の斜面から小さな川が流れており、滝沢村の中心部(鬼越峠の旧道沿い)に流れ込んでいます。
火打石のズリ、つまり掘った時の屑石が、それに流れ込んでいるかも知れません。



ゴム靴をはき、ガラス底の覗き箱を釣り具屋で買って、「この雪の中で、カジカ突きですか」とか「何か落としたんですか」とか言われながら、一心不乱に水底を覗いた板谷氏は、思わず息を止めました。
トコロテンの破片のような半透明なもの(石)が、鈍い光を放っているのを見つけたからです。
逃げるわけでもないのにソーッと手を伸ばし、拾い上げて見ると、それはまさしく玉髄(ぎょくずい)の破片でした。

★山菜、きのこ、木の実は自分で見つけられると嬉しいですね。
生前は親にも子にも在り処を教えず、亡くなる時、一人だけに教えると言われています。

燧掘山(カドホリヤマ)の掘り跡は、山頂との間にあるはずであると推理したので、雪解けを待って出かけました。
30分ほど登ると、10畳ほどの小さな平地に出ました。
そこには玉髄(ぎょくずい)の破片が散らばっており、目の前の崖に人一人がやっともぐり込めるぐらいの小さな穴が空いています。略

かどほりやま.JPG
燧掘山(カドホリヤマ)

かどほりやま2.jpg
燧掘山(カドホリヤマ)


数日後、懐中電灯やハンマーを持って再び訪れ勇気をふるって(穴に)もぐり込みました。略
天井にライトを向けると、昔火打石を掘った人たちの松明の煤(すす)がいっぱいついています。
その煤の間から覗いている白い石の脈をハンマーで叩くと、火花を飛ばしながら砕け落ちました。
それはまさしく玉髄(ぎょくずい)でした。


宮沢賢治短歌(13歳・明治42年)
鬼越の山の麓の谷川に瑪瑙のかけらひろいきたりぬ

★石ッコ賢さん(賢治)は、鬼越峠の先の燧掘山(カドホリヤマ)まで足をのばしていました。
13歳で瑪瑙(玉髄に縞が入ったもの)を知っていました。
★玉髄には、白(乳色)、黄、緑、青玉、雲の峰状の鍾乳石タイプ(ハンマーでたたくとパカッと2つに割れ、中から入道雲そっくりの美しい玉髄の群れが現れます)があります。
「宮沢賢治宝石の図誌」には、写真付きで説明されています。


下記の文内にある賢治心象童話「水仙月の4日」の中の・・・像の頭の形をした・・・は、「燧掘山」(カドホリヤマ)を心象モデルにしています。3つあります。

○ひとりの子供が、赤い毛布(けっと)にくるまつて、しきりにカリメラのことを考へながら、大きな象の頭のかたちをした、雪丘の裾すそを、せかせかうちの方へ急いで居りました。

○二疋(ひき)の雪狼(ゆきおいの)が、べろべろまつ赤な舌を吐きながら、象の頭のかたちをした、雪丘の上の方をあるいてゐました。

○雪童子(ゆきわらす)は、風のやうに象の形の丘にのぼりました。

「宮沢賢治宝石の図誌」の著者は、「もし私が賢治のこの短歌を先に知っていたら、燧掘山(カドホリヤマ)を突き止める苦労などはまったくなかったわけで、何となく自分の推理の値打ちが下がったような気もしないわけではありません。
しかしそれよりも、同じ場所に同じ石を拾いに行ったという強い親近感の方が、賢治研究に弾みをつけてくれました。」とおっしゃっています。

また「芸術的な科学者と言うのは、インスピレーションによって真理を探究してゆくというタイプで、その辺が技術者的な科学屋とちがうところです」とおっしゃっておられます。かなり手厳しいですね。
芸術的な科学者の例として、ガリレオやファラデー、アインシュタインの名をあげています。

羅須地人協会時代に賢治が講義した「農民芸術概論綱要」については、多くの青年は理解しなかったようです。



~~つづく~~~

柴犬カンチの足跡日記
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